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expo study meeting vol.01 「クリエイターはどうする? 2025大阪・関西万博」イベントレポート
2018年11月23日。2025年に開催される国際博覧会(以下万博)の開催国に、長い誘致期間を経て日本(大阪)が選ばれた。過去の万博の開催実績や、運営能力の高さなどが評価され選ばれた大阪には、国内外から約2800万人の来場が想定され、経済効果はおよそ2兆円と試算されている。
経済効果もさることながら、1970年万博の際に建設された「太陽の塔」を始め、万博にはさまざまな「クリエイティブ」が関わってくる。しかし国内のクリエイターには、万博の意義や、パビリオンやプログラムの選定方法など、さまざまなことが未浸透なのが現状だ。
2019年1月25日に心斎橋ビッグステップにて開催された「expo study meeting vol.01」は、大阪のデザイン事務所「株式会社バイスリー」と、同じく大阪のWebコンテンツ制作会社「株式会社人間」の2社が企画した、2025年大阪万博のための「勉強会」だ。
「バイスリー」と「人間」は万博の誘致活動として、自社の資金でフリーペーパー「はじめて万博」を共同刊行した実績がある。
第1回となる今回は、「クリエイターはどうする? 2025大阪・関西万博」のテーマを掲げ、2名の万博有識者をゲストに招き、来場者に向け、万博に関する講演を行った。
―過去の万博から学ぶ「開催成功」のかたち
二神敦(ふたがみあつし)さん
1972年生まれ、神戸在住。世界各国140以上の博覧会を巡った博覧会マニア。普段は阪神高速道路の会社員として働く。史上最大規模の上海万博には10回訪問。万博終了後の跡地を訪れるなど、“万博後”についても動向をチェックしている。
「博覧会マニア」の異名をもつ二神敦さんは、1981年に開催された「神戸ポートアイランド博覧会」に一番乗りで来場し、当時の新聞でも報道された。それ以降、世界140か所の博覧会に足を運び、自他ともに認める「博覧会」の第一人者だ。
今回のイベントでは、過去9か国の「万博」を訪れた二神さんだけが知る、万博のあり方、そして万博が人々にもたらす影響などを話してくれた。
二神敦さん(以下、二神さん):「万博の失敗と成功の判断基準」にしている要素がこのふたつです。
一般的に「成功」といわれているのが、「愛・地球博(愛知)」「上海万博(中国)」「花の万博(大阪)」。
これまで、「最大の万博」といわれていたのが、「上海万博」。6410万人という大阪万博に対して、上海万博は7308万人という多くの来場者数を記録したわけです。
日本の場合、最近では「愛知万博」が一番大きな万博でした。当初から(来場者数などが)軌道に乗っていたかというとそうではなくて、開始前の内覧会は新聞でネガティブに報道されていましたが、結果大成功しました。
はじめは全然人(来場者)がいなかったんですけど、どんどん増えてきて、入場規制もかかりました。ゲート前に徹夜組が5000人待機したり、閉場時間には次の日目当ての徹夜組のお客さんが門を取り囲む形で集まっていました。
―開催中と開催後ではまた別物。それぞれの「成功と失敗」
先ほど「収益が大事」という話をしたんですが、それは運営側の問題で、それ以外の一般の方は、赤字であろうが黒字であろうが、あまり関係ないですよね。収益の話は、あくまで開催期間中の問題です。
万博が終わると、期間中には万博に関心がなかった人たちにも関心は広がっていくんです。期間後には「跡地がどうなったか」「博覧会によって、国民の気持ちがどう変わったか」、こういうことが一番大事になってくると思うんです。
「神戸ポートアイランド博覧会」は、当時の「太陽神戸銀行」が出展していたパビリオンを今もプラネタリウムとして残していますが、跡地である「神戸コンベンションコンプレックス」は現在あまり盛況していません。
その一方、同じ港町ということで、「横浜博覧会」の跡地である「みなとみらい21」は現在でも賑わいを見せています。「横浜博覧会」自体は、集客の面でも収益の面でも、大失敗だった。けど、街づくりとしては大成功ということですね。
―数字に踊らされない、人々の「万博の思い出」
海外の跡地も、もちろん色々訪れました。ヨーロッパ、アジア、アメリカなど。神戸が元々、何もない区画で万博を開催し、その後私自身が街づくりの様子も見ていたことで、「跡地」に興味を惹かれたんです。
シカゴ万博(1893年)の例では、パビリオンがいまだに美術館として残ってるんですね。元々残すつもりで作られたパビリオンだったから、今でも「博覧会やってよかったね」という気持ちがシカゴの人々の心に残ってるんです。
―鉄道乗客者数に見る、万博跡地の隆興
一方、我が国の跡地を最寄り駅の乗客数で比べてみました。やっぱりトップは大阪万博(1970)の跡地ですね。「つくば万博」(1985)、つくばエキスプレスの最寄り駅の乗客者数が、1日当たり5,276人。そして乗客数が一番少ないのが、「愛・地球博」(2005)の愛知です。「花の万博」跡地の鶴見緑地公園は入場無料、愛・地球博の跡地も入場無料ですが、今でも一番人を集めてるのは、入場料がいるにも関わらず、大阪万博の跡地である「万博公園」なんです。
愛・地球博の開催地であった愛知県は、開催中あれだけ人を集めたのに、今は低迷してるようで、「愛・地球博は財政面で成功とは言えなかった」と、去年も報道されていました。
その理由は、博覧会の会場に交通を連結するためにわざわざ鉄道を通したけど、万博が終わるとあまり乗客数が伸びなかったんです。愛知は大企業「トヨタ」の所在地でもあり、車社会なんですよね。
―「分りやすさ」と「描きやすさ」。万博ロゴマークの課題
二神さん:今回のテーマに沿って、少しデザインの話もということで、過去の博覧会を振り返ってみようと思います。
実は私、ロゴマークが大好きなんです。今回の誘致マーク公募の際も、デザイン能力なんてないにも関わらず応募しました。過去に、応募の謝礼といったレターセットが送られてきたことがあったので、「今回もそういったものがあるかもしれない……」という景品目当ての応募でした。
その後、一般投票作の内から3点の作品が最終選考に選ばれ、結果3に決定しました。
基本的にロゴマークは、子どもでも描けるデザインでないといけないと思うんです。例えば、絵日記に書けるぐらいの分かりやすさ。その点を考えると3かなーとも思いますね。
―安易な発想が誰かを傷つける? キャラクターデザインにも十分な配慮を
二神さん:続いて、マスコットキャラクターについてお話ししたいと思います。花の万博(1990)のボランティアをした際に「花ずきんちゃん」がプリントされたTシャツを着たけれど「高校生の男子にこのTシャツはキツいかな」なんて思ってましたね。大阪万博の際には、大人の男性にも似合うかっこいいキャラクターを、クリエイターのみなさんにデザインしていただきたいなと思います。
さすが数々の万博をリアルタイムで見てきた二神さん。大阪に住まう人間がおそらく一番気がかりであろう「収益」「広大な土地の事後処理」の問題も、過去のケースを用いて、分りやすい言葉で解説してくれた。
二人目の登壇者は井口 皓太(いぐちこうた)さん。武蔵野美術大学在学中に会社を立ち上げるほど、優れたクリエイティブの才能をもつ井口さんは、2015年のミラノ万博の際に日本のパビリオン設立に関わったクリエイターのひとりだ。実際に、現地で万博の構築に携わったクリエイティブの第一人者として、お話をうかがった。
2008年武蔵野美術大学在学中に株式会社TYMOTEを設立。2014年に世界株式会社を設立。グラフィックデザインを軸にさまざまなデザインワークを行う。主な受賞歴に2014東京TDC賞、D&AD2015 yellow pencil、NY ADC賞2015goldなど。京都造形大学客員教授。 ミラノ万博では日本館 FUTURE RESTAURANTのアートディレクター兼モーションデザインを担当。本プロジェクトは、ミラノ万博の展示デザイン部門で「金賞」を受賞。
―多彩なクリエイターが集った「ミラノ万博日本館」の制作
井口皓太さん(以下、井口さん):よろしくお願いします。井口皓太です。僕には個人で色々な肩書きがあります。肩書を固定しないで仕事してる感じですね。では早速ミラノ万博の話をしようかなと思います。
こちらが日本館全体のアーカイブ映像なんですけど、僕は開催期間中は日本にいたんです。この映像を見て「こんな感じなんだ」って思ってましたね。他のクリエイターも開催1週間前には日本に帰ってきていました。
冒頭はチームラボさん制作の映像で、僕らは大トリの「フューチャーレストラン」というものを手がけました。役割としては、ライゾマティクスさんが仕切りで、僕らがモーションって分担でした。
空間デザインは、乃村工藝社さんと 丹青社さん担当でした。本来、この2社って競合企業だと思うんですけど、2社がタッグを組まないと作り切れない規模だった。今後の万博でも、そういう事情で競合企業がタッグを組むことは起こっていくと思いますね。
面白いなーと思ったのが、スタイリストに 飯嶋久美子さん。きゃりーぱみゅぱみゅとかの衣装を手がけてる人です。ライティングに「DumbType(ダムタイプ)」という、京都などでコアなアートやってる方々。そんな人たちがいたのは、面白い組み合わせだったと思いますね。
ミラノ万博はテーマが「食」だったんでフューチャーレストランという作品が出来上がりました。ミュージカル風の演出になっていて、コンシェルジュみたいな人が出てきて、「日本食とは、四季や料理人の思想が影響する料理です」という、京懐石などの個性を来場者が実際にお箸を使いながら、ミュージカルを見ながら学んでいくという構成でした。
ところどころ尖った演出になってたんですが、全体的には日本食の繊細さや四季を通じて楽しむ感覚だったりを視覚的に表現した多幸感溢れる内容になっていたと思います。これはパビリオンをいう閉鎖空間の中で観客となる人がいて成立するもので、一種のショーに近い感覚かなと。僕自身も新鮮でした。
―計画変更や困難続き……万博クリエイティブの舞台裏
僕が実際に万博のお仕事に関わりだしたのは結構後半でしたよ。僕は企画に関わってないので、アートディレクターとして「これはよくない」とかは言えたけど、他の事には口出ししてません。
僕がこの企画に関わったのは10月からだけど、年明けるまではまったく何もしてなかったんです。というのも、決まってない項目が多すぎて、ロゴだけ作って年内は終わったと思います。万博は諸々の事情で企画が動き回ってるものだから、最後までどんなパビリオンになるか分らなかったんです。ただロゴだけは最初に作ってほしいという話でした。
8月にライゾマティクスさんが全体のイメージをCGで可視化してくれました。どんなものを作ろうとしてるか、言葉でクライアントに話しても伝えるのが難しかったと思うんで「我々はこういうことができます」っていうのをCGで作ったんです。あとはすべて絵コンテ。最後まで計画が常に変化するので、みんなまだ日本にいる状態で、すべて想像でCGや絵コンテを作ってたんです。
―国内外で評価の乖離……「外国でも通じるクリエイティブ」とは?
2月の段階で僕らのお仕事が入ってきました。アートディレクション的な話をすると「どんな感じがいいかな?」って仲間と話してると「外国の方が考える日本」ってこう……日本人からすると少しズレてたりするじゃないですか。でも、そのイメージ自体がグローバルな日本なんです。「外国の人たちが考える日本の要素」みたいなのを、思い浮かべながら日本人がデザインする。そういうテンションでやっていた気がします。
僕自身、その感覚のアップデートができたのが、すごく昔に作った「Kanji City」っていう、京都の街を漢字で象形文字で再現してそこを走っていく映像なんです。
これが結構海外の賞を総なめにしたんです。受賞の際、外国のデザイナーさんに「日本はいつもめちゃくちゃセンスいいのは知ってるけど、意味がわかんない。この映像は初めて意味がわかった」って言われました。分りやすいものが感謝される。それが結果グローバルデザインだった、みたいな。
フューチャーレストランは、自分がかっこいいと思う尖ってることから離れてく感じがちょうどいいんじゃね?ってデザインしましたね。海外の人から見られるものを作る時はそういう感覚が大事だと思います。
その後、3月にやっと僕らがミラノに行くんです。ラスト1ヶ月ですね。僕は「アートディレクター」って肩書で呼ばれてるから、結構ちゃんとした硬い雰囲気でミラノでは迎えられると思ってたんです。実際訪れたら、ガンガン現場で工事してて(笑) 現場でヘルメットかぶりながら作業してました。それもそれで面白かったですけどね。日本館は最後、あんなに立派な感じに仕上がってたけど、僕らが見てたのはそういう日本館でしたね。
同じクリエイターとして、主催者の意見や質問を交えながら進んだ井口さんの講演。日本のトップクリエイターでも、国内と海外の評価の乖離には悩まされたようだが、ミラノ万博の日本館は「展示デザイン部門金賞」を受賞している。これは、井口さんのいう「アップデート」が成しえた功績だろう。
その後の質疑応答タイムでは、井口さんのお話を聞いた来場者たちから、クリエイティブに関する質問が飛び交った。一部をレポートする。
来場者:「海外に伝わりやすい」デザインの話をもう少し詳しく聞きたいです。
井口さん:「デザイナーがデザイナーのためにデザインしない」ってことだと思います。きっと。例えば、最近では彦根城のブランディングなんかも携わらせてもらっていて、結構外国の方から評判良かったりするんですよ。
彦根城PR動画:国宝・彦根城築城410年祭 プロモーションムービー「彦根に集え!」
日本のカルチャーみたいなものを作ろうという意識があった人たちって、すでに日本から出ていってる場合もある。「なんで日本から離れたんですか?」ってそういうクリエイターに聞いたら「少子化だから」って。「今は上海の若い子たちがエネルギーあるから、次のカルチャー作るのは上海だ!」って言ってて、外国からの力を使って、上海でカルチャーを作ろうとしてるんです。
悔しいなと思いまして。向こう側に歩み寄るってのは負けてるわけじゃなくて、僕がこっちから「これ面白くない?」って寄っていくのは、そういう意識が働いところだと思います。
ー約170年続く、「万国博覧会」とは
大阪での万博開催が決定して以降、資金面での問題やIR誘致の問題など、万博にまつわるネガティブなニュースが増えた。それを耳にする大阪府民の中に、万博に対し否定的な人が一定数いることも理解できる。
しかし、今回のイベントに参加してみると、私たちが日頃耳にする万博のネガティブイメージこそが、万博のほんの一角だと理解できた。
万博開催の2025年まで、今回の勉強会イベント「expo study meeting」は定期開催される予定。今回は「交流会」と称し、登壇者や他の来場者と自由に交流できる第二部も設けられていて、気軽に足を運んでみても楽しめるイベントだった。日本に住まうものとして今一度、万博のことを「勉強」してみよう。
(取材・記事=渡辺あや)